感想を書きたいブログ

読んだ本の感想を綴ります。この本、気になってた!という方の参考になればよいです。本好きな方ともどんどん繋がりたいです^^

『夫のちんぽが入らない』

『夫のちんぽが入らない』*1を読みました。


夫のちんぽが入らない(扶桑社単行本版)

夫のちんぽが入らない(扶桑社単行本版)

  • 作者:こだま
  • 発売日: 2017/01/18
  • メディア: 単行本



 タイトルを見たときは「お、おおう・・・?」という感じで軽い衝撃だったんですが、読後感はかなり重かったです。
 ミステリーやホラーなお話を読んだ後の重さとはまた違った重さというか。


後から知りましたがこの本は界隈では話題作だそうで、特に女性からの反響が良いんじゃないかなと感じました。筆者の「高校生の頃(プラス幼少期)」から「30代後半となる現在」までの思い出や悩みや苦しみのなかのどれかにはかなりの女性が共感する部分があるんじゃないかと思います。共感できない部分も結構ありますけどね。

 それから、筆者の飄々とした語り口がおもしろく、悲惨な状況なのに謎の軽さのあるところに味があって好きです。


目次

あらすじ

同じアパートに暮らす先輩と交際を始めた“私”。だが初めて交わろうとした夜、衝撃が走る。彼の性器が全く入らないのだ。その後も「入らない」一方で、二人は精神的な結びつきを強め、夫婦に。いつか入るという切なる願いの行方は―。「普通」という呪いに苦しみ続けた女性の、いじらしいほど正直な愛と性の物語。

[引用:「BOOK」データベース]


夫との出会い

 主人公の「私」は大学進学のため片田舎から東北の地方都市にやってきます。親切なおばあさんが大家であることに惹かれ住むことにした古いアパートで、後に夫となる青年と出会います。私が部屋で荷ほどきをしていると、青年はなんの躊躇もなく部屋に入ってきてカラーボックスを組み立てたり、テレビを見たり、冷蔵庫のお茶を飲んだりしだします。私よりも先にその空間に馴染んでいる青年に戸惑いながらも不思議と嫌な感じはせず、ひそかに恋心を抱いていました。

二つ隣の部屋、壁の向こうの向こうにあの人の生活がある。同じ屋根の下に住んでいる。同じ玄関とトイレを使う。これってもう一緒に住んでいるも同然ではないか。そんなことを考え始めると妙にそわそわして落ち着かない。無意味に狭い部屋の中を行ったり来たりしながら、すごいことが起きてしまった、私にはとてもすごいことだ、と呟いた。


 翌日、青年にスーパーまで案内してもらったり、近所の銭湯を教えてもらったり、夜には彼がバイト帰りに寄るという鍋焼きうどんの店に一緒に行ったりします。夜遅くに出歩くことなどなく、男の人と長い間過ごすことさえ初めてだった私は浮かれ気分で、彼のささやかな暮らしぶりを垣間見ます。


 田舎から出てきた少女が、自由に外へ出歩く事ができる生活への期待や、初めての恋心に浮足だつ描写がくすぐったく、リア充大学生でただただうらやましいです(笑)


 不意に青年から出身地を聞かれ、私は渋った挙句に白状すると彼は小学生のようにからかってきます。

「そうか、くそ田舎からのこのこ出てきてしまったか。信号って見たことある?コンビニ入ったことある?マック知ってる?エレベーターひとりで乗れる?芸能人見たことある?」

集落に信号は一機あるが、コンビニは一軒もない。マクドナルドにいたっては入ったことすらない。エレベーターは大丈夫だと思うけれど、絶対かと問われたら自信はない。だが、公園の日陰で足を伸ばして休む小錦を見たことがある。そう、小錦を見た。


小錦www



 そうして引っ越してきて3日目の夜、彼の友人の女子の家で、お昼をごちそうになり、私の部屋に戻ってきたとき、彼からこんな提案があります。

「きょうこっちの部屋で寝ていいかな。別に何もしないから。」
彼は野球の結果を見ながら、なんでもないことのように言った。
「いい、ですけど」
二つ隣の部屋で寝ている人が、今夜ここで寝るだけのことだ。私は動揺を悟られないように精いっぱい平静を装って答えた。


 そんなこんなで枕の柄ださくないかとか下着の正解はなんだとか気を揉みながらも、同じ布団で息を潜めていた私ですが、隣で彼はすうすうと眠っていました。

いや、まさか。まさかでしょ。「こっちで寝る」って本当にそういう意味なんだ。こういうことも大学生のありふれた日常なのだろうか。集落暮らしの私にはわからない…


 翌朝、二人は丘の上のスーパーでメロンパンを買い、その甘いにおいを漂わせながら信号を待っていると、彼がこうきりだします。

不意に彼が「付き合ってもらえませんか」と言った。あまりにもさらりとしていたので、大事な部分を聞き逃したのだと思った。
「付き合うとはどういうことですか?どこへ?」

正式に交際を申し込まれていることに気付いた私は感電したように「付き合いたい、です」と言った。

好いている人に、好いてもらえていた。
こんなことは生まれて初めてだった。

セックスに対する嫌悪感


 付き合うことになった夜、性的な関係になる二人ですが、ある問題が起こります。
 ちんぽが全く入らないのです。

 彼は、初めての人とするのは初めてだし、次はちゃんとできるはずだから、と言いますが「私」は初めてではなく、高校二年の夏に一度だけ経験があったのでした。

 しかし、高校生の頃の「私」は同級生たちがセックスのはなしを得意げに話すことに嫌悪感を抱いていました。

まだ経験のない私は、身近な相手とセックスすることに強い抵抗感を持つようになった。そんな恥ずかしいことを恋人や顔見知りの人間とできる気がしない。…どうしてもしなければいけないのなら、全然知らない人がいい。私はそう思った。


 「私」は高校2年の夏休みに地元のお祭りで声を掛けてきた見知らぬ高校生に誘われるまま家についていき、セックスをします。そうなっても構わない、見知らぬ高校生はちょうどいい、という投げやりな気持ちで事は進み、決していいものではなかったと言いますが、確かにちんぽは入ったのでした。


 「そんな恥ずかしいことを恋人や顔見知りの人間とできる気がしない。」という感覚はわたしもありました。セックスというものがどこか他人事で幻想の世界にあって、「裸みられるのとか、無理」と思っていました。思春期特有の性に対する嫌悪感というか。週刊誌の性的な広告とか、事件から性の暗い部分のイメージが強く残ってしまう時期がありました。あとは、幸か不幸か全然もてなかったので、そういう機会もなかったんですけどね!(泣)


 その後何度挑戦しても入らない「私」は自分が「普通ではない」と言われているような気がして、身体も心も私のほうに不備があるのではないか、不能な女と付き合う事に彼は後悔していないだろうか、と悩みます。

 このくだりで筆者のおいたちを語るところがあるのですが、このへんの育った環境とか、物事の捉え方、感じ方が根本的なところにあるのだろうな、と感じます。

母は事あるごとに私を罵った。醜い顔だ、肌は浅黒いし髪はちりちりで艶がない、目鼻もぱっとしない、どうしてお姉ちゃんだけこうも可愛くないんだろう、

赤ん坊の私が大声を上げてぐずると、それに負けない勢いで母もかんしゃくを起こす。追い詰められ、陶芸家が感情に任せて壺を割るように私を床やアスファルトに叩き付けたこともあった。

その話を母から聞かされるたび、私は失敗作としてこの世に生まれてきたのだと思った。…


 育児ノイローゼだった母の様子が語られるのですが、子供時代に自分は失敗作だと考えてしまう環境があるのはとても悲しい。そういった環境を抱え込むのか、忘れようとするのか、振り払って強く生きていこうとするのか、は人によって捉え方の違いによるものなんでしょうかね・・・。この場面ではなんてひどい母親なんだと怒りが湧きますが、母自身もかなり苦しんでいる状態なんですよね。こういう家庭の問題って外部の力で簡単に解決できるものではないし、難しいですよね。だから、子供を持つことや結婚して家庭を持つことが幸せである、と単純に言えることではないんだと思います。とはいえわたしも、普通に結婚して子供を産んで、穏やかで幸せな家庭をもつことに憧れを抱いています。


普通の夫婦とは何か


 ちんぽが入らないという問題を抱えながらも、穏やかに関係を深めていった二人は卒業後ほどなくして結婚します。

何をするにも一緒だったけれど、飽きる事はなかった。学生のころからずっとそうやってふたりで生きてきたのだから、変わりようがなかった。とても穏やかな暮らしだった。
ただ月に一、二度直面する「ちんぽが入らない」という、その一点だけが私たちの心を曇らせた。


 その後、互いに教師となった二人が直面する問題、精神的な苦悩、夫の風俗通い、私の夫以外の男性とのセックス依存、妊活などについて語られますが、今回は割愛します。むしろこちらのほうが物語の中盤で、深い場面が多いので、気になる方は本を読んでみてください。宣伝ではないんですけど(笑)

 どこかに載っていたこの本に対するコメントで「悲惨なのにかわいそうではない」というようなものがあったのですが、まさに同感です。
 ちんぽが入らずに流血し、どうして夫ではだめなのかと泣く場面では「私」はもちろん苦しいだろうけども、夫もやり場のない虚しさや悲しさを感じていたのではないでしょうか。夫は風俗に通い、妻は他人とセックスをし、互いの性を埋め合わせる日々が描かれますが、二人は一緒にい続けます。そのような状況は悲惨だけれども、かわいそうではないのは、物語の全体を通して夫婦の精神的な信頼感や優しさが伝わるからです。

「子供、できるかな。私、育てられるのかな」
血まみれのシーツの上で呟いた。
この作業を定期的に続けてゆくことも、産むことも、育てることもすべてが不安だった。
「あんたの産む子が悪い子に育つはずがない」
夫はそう断言した。思いもよらない一言だった。

あの日も今夜も、私には悪いところなんてないと夫は言い切った。


 性交で繋がったり、子を産み育てたり、世の夫婦がふつうにしていることができないことに悩み、向き合い、苦しんだ筆者ですが、自分をただ認めてくれる夫のような存在と出会えたことは、幸せな事で、結構奇跡的だと思います。

私たちは、ほかの人から見れば「ふつう」ではないのかもしれない。けれど、まわりから詮索されればされるほど、胸に湧き上がってくるものがある。私たちはふたりで生きていくのだ。そう決めてやってきたのだ、と。


 平凡、平均という意味での普通は、わたしはいい意味で捉えるのですが、普通であることにこだわりすぎて、それが自分の望むことだと無条件に考えるようになってしまうと、それはそれで怖いなと感じます。みんなどこかしらおかしなところがあるのだと思います。

 そんな、おかしな時期を経験した筆者はこれからも夫と共に生き続けていけるのだろうなと、最後は明るい気持ちになれました。

*1:こだま(2017)『夫のちんぽが入らない』扶桑社