感想を書きたいブログ

読んだ本の感想を綴ります。気分転換のためなので更新は不定期ですがどうぞよろしくお願いします!

『ヴィヨンの妻』

太宰治著『ヴィヨンの妻』(1950年)を読みました。

 

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

ヴィヨンの妻 (新潮文庫)

 

 

 作家の夫大谷とその妻との間の出来事を、妻が語るかたちで進んでいくお話です。

 

一番印象に残った一文を・・・

 

私は、お正月の末に、お店のお客にけがされました。

 

妻の告白です。この文だけ読むと、ショッキングな感じがします。ただ、私はこのシーンは妻の心の機微をうまく表している感じかしておもしろいな〜と思うのです!

  

 妻は26歳で、30歳の夫との間に4歳になる息子がいます。以前は父親とおでんの屋台を営みつつましく暮らしていました。夫とのなれそめについてこのように語る場面があります。

 

母は早くになくなり、父と私と二人きりで長屋住居をしていて、屋台のほうも父と二人でやっていましたのですが、いまのあの人がときどき屋台に立ち寄って、私はそのうちに父をあざむいて、あの人と、よそで逢うようになりまして、坊やがおなかに出来ましたので、いろいろごたごたの末、どうやらあの人の女房というような形になったものの、もちろん籍も何もはいっておりませんし、… 

 

「いろいろごたごた」ってかなりごたごたした感が否めない(笑)

妻の語る様子では、かなり哀愁漂う家庭生活が浮かんできます。4歳になる息子は栄養不足のせいか、2歳の子供より小さいくらいで、歩く足許も言葉もおぼつきません。そのような状態でも夫は息子の心配などせず、どこかへ出掛けていってしまいます。医者に連れて行くにもお金がない。家の中も荒れきっている。

 

腐りかけているような畳、破れほうだいの障子、落ちかけている壁、紙がはがれて中の骨が露出している襖、片隅に机と本箱、それもからっぽの本箱…

 

妻、めっちゃかわいそう。 

 

…あの人は家を出ると三晩も四晩も、いいえ、ひとつきも帰らぬ事もございまして、どこで何をしている事やら、帰る時は、いつも泥酔していて、真蒼な顔で、はあっはあっと、くるしそうな呼吸をして、私の顔を黙って見て、ぽろぽろと涙を流す事もあり、またいきなり…(略)「ああ、いかん。こわいんだ。こわいんだよ、僕は。こわい!たすけてくれ!」などと言いまして、がたがた震えている事もあり、…

 

 夫、病んでますね。どうしようもない性格なのに、なぜかモテる人っていますよね。おでん屋で出会った頃は、どこか影のある感じが魅力的にみえてしまったのでしょうか・・・。

 

さて、夫・大谷はついに事件を起こします。

深夜にあわただしく帰ってきた夫が、荒い呼吸をしながら机の引き出しや本箱を掻きまわしていると、料理屋を営んでいているという二人の夫婦が、大谷が泥棒を働いたといって訪ねてきました。

 

「ゆすりだ」と夫は威かけ高に言うのですが、その声は震えていました。「恐喝だ。帰れ!文句があるなら、あした聞く」

 

「たいへんな事を言いやがるなあ、先生、すっかりもう一人前の悪党だ。それではもう警察へお願いするより手がねえぜ」

その言葉の響きには、私の全身鳥肌立ったほどの凄い憎悪がこもっていました。

 

どうやら大谷は毎回代金を支払わずに料理屋の酒を飲み続け、挙げ句の果てに店の売上金を盗んでいたようです。妻はなんとかするので警察沙汰にはしないでくれと料理屋夫婦に頼みます。しかし、考えたところで金を工面する方法が思いつかない妻はその後、あてもなくその料理屋を訪ねます。そして金の工面ができそうだと嘘をつき、それまでの人質として料理屋で手伝いをする、と夫婦に説明し、料理屋で働くこととなります。

すると妻に変化があらわれるのです。

 

くるくると羽衣一まいを纏って舞っているように身軽く立ち働き、自惚れかもしれませぬけれども、その日のお店は異様に活気づいていたようで、私の名前をたずねたり、また握手などを求めたりするお客さんが二人、三人どころではございませんでした。

 

そのうち、大谷が客としてやってきて「大谷と他人の仲ではないマダム」が借金を支払ってくれることになりました。結果的に嘘が本当になった妻は重荷が解け、たちまち気持ちが軽やかになっていきます。

 

...私の生活は、今までとはまるで違って、浮々した楽しいものになりました。さっそく電髪屋に行って、髪の手入れも致しましたし、お化粧も取りそろえまして、着物を縫い直したり、また、おかみさんから新しい白足袋を二足もいただき、これまでの胸の中の重苦しい思いが、きれいに拭い去られた感じでした。

 

そんな中、妻は料理屋に来る客は、様々な事情を抱える人たちばかりであることに気がつきます。立派な身なりの奥さんが水の入った酒瓶を売りつけに来たり。

 

あんな上品そうな奥さんさえ、こんな事をたくらまなければならなくなっている世の中で、我が身にうしろ暗いところが一つもなくて生きて行く事は、不可能だと思いました。

 

 

 ある雨の夜、料理屋での仕事を終えてかえる時、傘をかりていきますとおかみさんに声をかけると、傘をもっているので送りましょうと工員風のお客に声をかけられます。

 

二人は電車に乗り、相合傘でまっ暗い道をならんで歩きます。男は大谷のファンだと話し、妻の家に着いた後、わかれます。

 

しかし、深夜にその男が再びやってきて、ふらふらしながら、帰りに酒を飲んでいたら電車がなくなってしまったから泊めてくれと頼みに来るのです。夫の帰宅だと思って玄関を開けた妻でしたが、主人もおりませんし、と座布団を二枚玄関の式台に敷いて男を寝かせることにしました。そして...

 

そうして、その翌る日のあけがた、私は、あっけなくその手にいれられました。 

 

その描写はたったこの一文。逆に気になる・・・!客の男との出来事についてはやけに説明が少なく、唐突に終わるところに、妻の心の変化がかいま見えます。けがされた、手にいれられた、と言ってますが、妻がひそかに望んだ結果であるような感じがするのです。

 

家の外に出て、みなが正しさばかりでは生きていけないことに気がついた妻は、「妻」としては正しくないかもしれないこの出来事をただただシンプルに告白しています。夫への恨みや寂しさといった感情を表す表現もありません。そうしてこのお話の最後は妻のこんなセリフで締めくくられます。

 

人非人でもいいじゃないの。私たちは、生きていさえすればいいのよ。」 

 

正の感情でも負の感情でもなく 生きていさえすればいいのよ、と夫に投げかける妻の言葉には清々しささえ感じるのです。