感想を書きたいブログ

読んだ本の感想を綴ります。この本、気になってた!という方の参考になればよいです。本好きな方ともどんどん繋がりたいです^^

100パーセント丸ごと受け入れてくれる友達なんて幻想【友だち幻想 人と人の<つながり>を考える】

菅野 仁著『友だち幻想 人と人の<つながり>を考える』(2008)を読みました。


友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

友だち幻想 (ちくまプリマー新書)

  • 作者:菅野 仁
  • 発売日: 2008/03/06
  • メディア: 新書


前の投稿から余裕で一ヶ月以上たってました・・・
つまりゆっくり本読む余裕ないくらい仕事の日々がしんどかったです(泣)

やっぱりなにが一番しんどいって人間関係の築き方です。

一応接客業なので、日々知らない人と関わるし、何より入社したばかりなので職場の人たちとの関係も一からはじめなければならない。それに仕事関係の交流会・・・

たくさんの人と関わることが得意でない私にとっては結構なストレスです。

ほんと接客業向いてない・・・と思うけど、そんなこといっていたら仕事はできない。
人間関係ってほんとめんどくさいな。ていうか、そんなにいやいや人と関わる必要ってあるのか・・・

という中で出会ったのがこちらの本です。

著者は社会学を専攻とし、大学教授をされていた方で、この本のテーマについてこのように述べています。

友だち幻想は私自身にとっても、今なお現在進行形の問題です。友だち幻想からなんとか距離を取り、リアルな現実のなかで他者とつながりながら、じっくり深い<生のあじわい>を築いてゆきたいという思いが、私にはあるのです。そのための処方箋のようなものを皆さんといっしょに考えてゆきたい、というのがこの本のテーマだったのです。


友だち幻想とは何なのか。

著者の意見をかんたんに言うと「自分のことを100パーセント丸ごと受け入れてくれる人がこの世のどこかにいて、いつかきっと出会えるはずだ」というのは幻想なんだという考え方のことです。

でもそれは決して虚無的な思想ではないし、他者に対して不信感を持つこととイコールではありません。

このへんの掘り下げつつ、まとめていきたいと思います。


<目次>

幸福と人とのつながり

私たちは人と人とのつながりにおいて、いったい何を求めているのか。それは「幸せ(幸福)」になることである、と筆者は述べます。

人間の幸福にとって本質的なものは二つのモメント(契機)に絞られます。
ひとつが「自己充実」というモメントで、「自己実現」という言葉でも言いあらわすことができます。
つまり自分が能力を最大限発揮する場を得て、やりたいことができることです。

もうひとつが「他者との交流」というモメントです。
交流の歓びはさらに、「つながりそのものの歓び」と「他者からの承認」の二つに分けられます。

交流そのものの、深いつながりそのものが持っている歓び、例えば母親が赤ちゃんを無性に愛おしくなる瞬間や、恋人と一緒にいるだけで無性に嬉しいとかつながっていることそれ自体が目もくらむほど幸せであるとか、妙に気の合う友だちと何をするわけでもなく一緒にいるのが心地よいとか、それが「つながりそのものの歓び」です。

もうひとつが「他者からの承認」です。「◯◯ちゃんていい人だよね」とか「勉強ができるんだね」とか、何かを人から認められるという喜びです。
社会生活の中で、その人の活動なり、あるいは存在そのものが認められる。なおかつそれが「自己充実」とセットになって、自分の能力を存分に発揮しそれが世間から高く評価されれば、これ以上ないというほどの歓びを得られます。

よくきく「プライベートも仕事も充実させたい」っていうのはこういうことなのかなと感じます。
すごく普遍的なことだったんですね。

幸せも苦しみも他者がもたらす

さて、自分以外の人間はどんなに気が合う、信頼できる、心を許せる人間でも、やはり自分とは違う価値観や感じ方を持っている異質性を持った他者です。

価値観が百パーセント共有できるのだとしたら、それはもはや他者ではありません。自分そのものか、自分の<分身>か何かです。思っていることや感じていることが百パーセントぴったりと一致していると思って向き合っているのは、相手ではなく自分の作った幻想にすぎないのかもしれません。


私たちにとって「他者」という存在がややこしいのは「脅威の源泉」であると同時に「生のあじわい(あるいはエロス)の源泉」にもなるという二重性にある、と筆者は述べます。
もし他者が脅威の源泉でしかないのなら引きこもって自分の趣味に没頭しれいれば楽しいかもしれないが、脅威がないかわりに、生のあじわいを得るチャンスもない。
逆に人とつながるのが楽しいだけだったらいいが、どんなに相手や周囲に配慮していても何かしら誤解しあったりうまくいかなくなることがあるのが他者との関係です。

思春期のころはどうして私の気持ちわかってもらえないんだろう・・・みたいに思うことはありましたが、今はだいぶ折り合いがつけれるようになりました。
でも、自分を表現することが怖くなることがあります。それを筆者に言わせると、「自分の本当のところをすべてきちんと伝えたい」と思ってしまうことが原因なのだそうです。むしろ「他者なのだから百パーセント自分のことなんか理解してもらえないのが当然」と思えると楽になるでしょうとのこと。

まあ、自分の本当のことをわかってほしい、みたいなところはあるな・・・特に親しい友人とか恋人との関係となると。そこでわかってもらえないということが出発点になるということでしょうか。

同調圧力

友だち関係に悩まされる要因のひとつとして著者は「同調圧力」という表現をします。
例えば友だち同士のグループでいない人の悪口をいうこと。自分もみんなと同じように同調して悪口を言わなければ仲間外れにされてしまう空気のことです。
また、流行ものを友だちと一緒に持ったりする、流行り言葉を使って、ノリの悪いやつと思われないようにみんなに合わせる、など。

いろいろな形はあるにせよ、私たちの身の周りには、様々な種類の同調圧力が張り巡らされていると筆者は述べます。

今私たちが目の当たりにしている同調圧力は、現代における新たな共同性への圧力(これをネオ共同体と呼んでみましょう)なのではないかと私は考えています。日本社会はハード部分(=物質的環境や法的な制度)では十分に近代化したのかもしれませんが、ソフト部分(=精神面や価値観)ではまだまだムラ的な同質性の関係性を引きずっているような気がします。…かつてのムラ的な伝統的共同性の根拠は、生命維持の相互性でした。貧しい生産力を基盤とした昔の庶民の生活においては、お互いに支え合って共同的なあり方をしていかなければ生活が成り立たなかったのです。…しかし現代におけるネオ共同性の根拠にあるのは「不安の相互性」です。多くの情報や多様な社会的価値観の前で、お互い自分自身の思考、価値観を立てることはできず、不安が増大している。その結果、とにかく「群れる」ことでなんとかそうした不安から逃れよう、といった無意識的な行動が新たな同調圧力を生んでいるのではないかと考えられるのです。


私自身、多くの情報、価値観に触れる中で自分自身の価値観を立てることができていません。たしかに不安を感じることはありますが、無意識的に群れることで不安から逃れようとしているのかどうか、よくわかりません。

ちなみにちょっと話はずれますが、私は「おそろいにしようのノリ」がどうも苦手で、それは同調圧力を負担に感じているってことなのかなと思ったりしました。
例えば友だちになにかを「おそろいにしない?」と提案されたとき、「私はこれがよく、あなたはそれがいい。それでいいじゃん?」と感じてしまうのです。でも、相手は「おそろい」に私とは違う価値を見出しているわけで、相手の意見に合わせるって関係を維持するために大切な面もあると思うし、バランスって大事ですよね。

「ルール関係」と「フィーリング共有関係」

著者は他者との距離感を考えるために実践的なキーワードとして「ルール関係」と「フィーリング共有関係」というワードを紹介します。

「ルール関係」と「フィーリング共有関係」を区別して使い分けられるようになると、対面的状況、組織、集団といったいろいろな単位の人間関係を考えるときに、どういう距離をとれば心地良いのかが考えやすくなります。

「ルール関係」は、他者と共存していくときに、お互いに最低守らなければならないルールを基本に成立する関係です。
「フィーリング共有関係」は同じ価値観を共有し、みんな仲良く、同じことで泣いたり笑ったりということが成り立つ関係です。

例えば仕事場というのは業績を上げるための目的集団で、組織ごとのルールがあります。
そこにフィーリングの共有性が高まったほうが、仕事の能率が上がり、組織として活性化するといえますが、基本的にはルール共有関係が成立しないところにフォーリング共有性だけを求めても成り立たないといえます。


なるほど・・・と思いました。
仕事関係の人と関わることがストレスなのは自分の中でこの辺がぐちゃぐちゃになっていたからかもしれません。
冷たい意味ではなく、職場の人とはルールの上で成り立つ関係なのだということをはっきり意識できていませんでした。
上司の言っていることが意味不明でも、職場の人間関係が面倒でも、売り上げのために仕事をしていく必要がある。でも、フィーリングの共有に固執する必要はないということですね。
相手を理解しようとか自分を理解してもらおうとか、必要な面はあるかもしれないけれど固執する必要はない。ある程度割り切って考えればいいということです。
直接的に売り上げにつながるわけではない交流会も、そこで人脈をつくっておけば、後々仕事がしやすくなって結果的に業績につながる、と考えることができますね。(というか、そう考えないと頑張れないんだけど)

大人であることの重要な要素だなと私が思うのは、「人間関係の引き受け方の成熟度」というものです。それは、親しい人たちとの関係や公的組織などで、ある役割を与えられた中で、それなりにきちんとした態度をとり、他者と折り合いをつけながら、つながりを作っていけることだと思います。


折り合いをつけながら、つながりを作っていけること・・・簡単なようで、難しい。

…自分の感覚的なノリとかリズムとか、そういうものの心地よさだけで親しさを確認していると、やはり関係は本当の意味で深まっていきません。

「ちょっと苦しい思いをしてみる」ことを通して、本当の楽しさ、生のあじわいを得るという経験はとても大切なんじゃないかと思うんです。ラクしてばかりして得られる楽しさにはどうも早く限界(飽き)が来るような気がします。


著者の菅野 仁さんが残した本を通して、人生の先輩から教えを請うて諭されたような気分です。
しんどいけど、ちょっと元気になりました。